かがり屋の料理

和歌山県出身の祖父はブラジル移民や北海道開拓団といった選択肢の中から北海道への移住を決意したことから「かがり屋」の歴史は始まります。故郷の十津川が水害など自然災害の多い土地ということから安全な地で暮らしたいと、函館や十勝などを回りながら災害の少ない網走を定住の地に選びました。 函館での料理屋五島軒でコックの修行の経験を生かし、農地開墾のかたわら、飲食店「松下食堂」を始め、ようやく落ち着くことができました。ちょうどその頃、地元の方々から「ここには旅館がない。旅館をやってみたらどうか」と勧められ昭和の初めに「松下旅館」として看板を揚げることになりました。
かがり屋建築前
能取湖荘建築前の様子
昭和42年道路拡張工事のため、松下旅館は移転することになりました。当時の網走市長佐藤忠吉氏の尽力により、国定公園での営業認可を受け、旅籠屋から観光旅館へ事業拡張するため能取湖観光有限会社を創設し「能取湖荘」(左)を建築しました。
昭和48年「遠くへ行きたい」のロケ隊が一週間近く滞在されました。
俳優の渡辺文雄氏は、食通で、食べ物談義が好きな人だが、夕食のお膳についているフライを見て憮然とした。 「なんで北海道くんだりまで来て、トンカツを食べなきゃならいんだ」
そのフライをに箸を付けてみると、「これがカキ貝?」とその大きさに驚き、北海道のスケールの大きさに驚嘆された。
昭和52年、作家の 山口 瞳 、建築家で画家の 関 保寿 、翻訳家の 常盤 新平 の各氏が滞在されたが、山口氏が当時小説新潮に連載していた、「迷惑旅行」の第八話が’「不埓に付き網走行き」で、その中に能取湖荘がユーモアたっぷりに描かれている。また、山口氏と関氏が、酔いにまかせて書いた5枚の色紙は、フロントと客室にそれぞれ掛けてある。
昭和54年、能取湖荘の厨房にて。「くいしんぼう万才」テレビ放映の1シーン。以降、かがり屋の歴史は続くわけですが今回はここまでとさせていただきます。

かがり屋の料理

オホーツクの新鮮な食材

かがり屋の料理 は先代から受け継がれたものばかりです。それから地元漁師さん、地元のお呼ばれの席よりヒントを得てかがり屋流にアレンジしたものもあります。

タラ、キンキ、サケ、ホッケ、ウニ、ホタテ貝、カレイ、氷下魚、北海シマエビ、タラバガニ、毛ガニなどの海の幸や、北海道の大地の恵みであるジャガイモやグリーンアスパラ、トウモロコシなど。創業当初からの「食の素材を大切に」を受け継ぎ調理しております。

オホーツクは食材の宝庫。

写真左 三代目 宿主 松下 伸次

 

刺身盛り かに てんぷら
刺身盛り合わせ タラバ蟹 天ぷら
かきのもと焼き 北海しまえび かるぱっちょ
かきのもと焼き 北海しまえび カルパッチョ
いくら うに
自家製いくら メフン うに
氷下魚のみぞれ和え 酢の物 つぶ貝
氷下魚のみぞれ和え 酢の物 つぶ貝

 

料理器

器(うつわ)
創業当初から丈夫で美しい有田焼きの器を主に利用しています。

調理したものを器に移す時、いつでも緊張感が走ります。

 

かがり屋 四代目

かがり屋の長い歴史にも変化が訪れています。
四代目より肉料理をメインとしたプランをご提供するようになりました。

知床牛のプラン
知床牛のプランは若い世代に人気のプランです。